『週刊 日本刀』創刊記念!
「石切丸」の所蔵元、石切劔箭神社の宮司さんにインタビュー<前編>

デアゴニュース


『週刊 日本刀』第5号で原寸大ビジュアルとともに特集される名刀・石切丸。
刊行に先立って、所蔵元の石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)の宮司、木積康弘さんにインタビューをしてまいりました!
石切丸はどんな歴史をたどってきたのか? 普段のお手入れはどのようにしているのか? そして、木積さんが石切丸にかける想いとは?

Q.最初に石切劔箭神社の名前の由来や由緒についてお教えいただけますか?

A. 「石切劔箭神社」というのは、まさに石を切る劔(剣)と箭(矢)ということで、神様の力が石を切る剣のように鋭く、石を貫く矢のように強いという尊称です。日本全国の神社の中でもかなり古い神社になりまして、歴史で言いますと2677年前、神武紀元2年といわれています。当時は現在の場所と異なり、生駒山の上の方に社殿があったようです。
当社は饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその御子である可美真手命(うましまでのみこと)の二柱をお祀りしておりますが、最初は可美真手命(うましまでのみこと)がお父様の饒速日尊(にぎはやひのみこと)をお祀りしたのが創始と言われております。以前、生駒山の発掘調査をした時、祭祀の土器が発掘されたと伺っております。
また、平安時代後期にあたる延長5年(西暦927年)にまとめられた「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)の中に、朝廷から認められた神社として、当社の名前が記載されております。社伝としては2677年前として伝わっておりますが、客観的な文書、資料としてはこの「延喜式神名帳」、つまり少なくとも1000年前には確実に存在していたということが確認できます。

Q.石切丸が石切劔箭神社に奉納されたのは戦後と推定されるとお聞きしております。「石切丸」という刀が「石切劔箭神社」に奉納されたというのは偶然だったのでしょうか?

A. 恐らく、神社名と同様「石切丸」という刀も、石を切るほど鋭いという事を表現して名付けられたのではないかと思います。名前がたまたま「石切」だったのは偶然だと思います。奉納された方が、同じ「石切」であるという事で、縁を感じられて奉納されたのではないでしょうか。

Q.「石切丸」が奉納された際のエピソードはございますか?

A. 残念ながら文書が残っておりません。神社というのは、毎日その日どんなことがあったかを日記に記しているのですが、昭和40年代に代々の宮司の日記を保管していた建物が火災に遭ってしまい、ちょうどその時代の部分の日記が焼けてしまいましたので、当時の事は分からないのです。
聞くところによると、以前参道にお店を構えていらっしゃった刀剣商の主人が、一度神社から流失した「石切丸」を買い戻して神社に奉納したと仰っていたようです。

Q.もしかすると、戦前にも「石切丸」が神社にあり、元々あったものが一時的になくなって、再び戻ってきたという可能性もあるということでしょうか?

A.そうですね。ただ、神社にはそれを証明するものがございませんので、定かではありません。
今は宝物館としてきちんとした建物がありますが、昔は蔵の中に色々な物を保管していたのです。先代が子供の頃、大正時代に何度か蔵を盗賊に破られたことがあるという話を聞いておりますので、もしかするとそういう時に流出したのかもしれません。


Q.戦後のGHQによる「刀狩り」で、全国から日本刀が接収され、多くの刀が海洋投棄などで処分されたという歴史がありますが、神社の御神体として納められていた刀や、美術品としても認定されている刀などはどのように扱われたのでしょうか?

A.当時どういう状況でどういった対応をしたという記録が残っておりませんので、定かなことは分かりません。刀匠の月山貞勝先生は、当社の境内で軍刀を作刀していたと伺っています。このことは現在、貞勝刀匠のお孫さんである月山家当主の方も仰っています。当社にある「小烏丸」の写しは貞勝刀匠が昭和12年に当社に奉納いただいた刀です。現在も「小烏丸」などが残っているという事で、恐らく流出せずに済んだのではないかという風に思います。

Q. GHQは、日本人が日本刀を持った時にオーラのようなものを感じ、それが日本人の戦闘意識を高める気がしたため、刀を集めて捨てたというエピソードを聞いたことがあります。普段、日本刀と接していてそのようなことは感じますでしょうか?

A.そうですね。日本人にとって日本刀は精神的象徴と言える物であるように思います。現代においても、日本人は物作りが非常に得意で、物作りにおける世界に冠たる国だと思いますし、例えば刀匠に限らず色んな匠の技が受け継がれているかと思います。単純に物を作るのではなく、作ったものに自分の魂を込めるという感覚は日本人特有のように思います。
まさに刀というのは、象徴的な物だと思います。ですから、GHQが日本人の象徴的な物を奪いたかった、というのもよく分かる気持がします。

Q. 今回、改元奉祝として作刀当時の石切丸を新たに復元するため、クラウドファンディングで支援を募られており、目標金額1,000万円のところ、目標を大きく上回る7900万円もの支援が集まりました。ここまでの反応は予想されていらっしゃいましたでしょうか?

A.いえ、ここまでとは思っていませんでした。 元々当社の宝物館には、古代中国の魏が邪馬台国の女王卑弥呼に贈ったとされる三角縁神獣鏡などの銅鏡が所蔵されており、こちらのほうを目当てに訪れる方のほうが多かったです。しかし、刀剣のブームが突如としておきましたので、今はどちらかというと刀剣が目当ての方が多いです。

Q.刀剣ブームは『刀剣乱舞-ONLINE-』(2015年にニトロプラスよりリリースされたオンラインゲーム)のブームに拠るところが大きいかと思いますが、参拝者の層や人数にも変化があったのではないでしょうか?

A.当社は非常に信仰の篤い参拝者が多く、そういったブームで若い方がたくさん来られると、従来の参拝者の方との間でトラブルが起こるのではないかと、少し心配したのですが、実際に来られた皆さんは大変行儀が良く、しっかり参拝される方が多くて、そういう心配は無用でした。
石切丸だけでなく、神社そのものにも興味を持っていただいて、石切丸を公開していないときでも参拝にきていただけるという事で、非常に感謝しております。

Q.そのような新しい層の参拝者は、文化の貢献にも影響を与えているとお考えでしょうか。

A.今、ますます核家族化が進み、なかなか神社の事やお墓参りなどが、家の中で継承されなくなってきており、そういう意味でも、若い方に興味を持っていただいたということは非常に良かったと思っています。

Q. 今回のクラウドファンディングのプロジェクトは、奉納するための刀を復元するという事ですが、一度刀を奉納すると、もう一般には公開できなくなってしまうのでしょうか?

A.はい。内陣というご本殿の一番奥深いところ、神様の御神体を奉安している空間に刀をお納めしますので、今回作刀した刀はしばらく皆さまに公開した後、内陣へお納めすると、もう皆さまのお目に触れることはございません。神様の御刀ということになります。

Q.クラウドファンディングのインタビューで刀匠の河内先生が、数百年後の後世の人が内陣の御刀を目にしたときに「平成の刀匠はこんなものか」と言われるような仕事はしたくないと仰っていましたが、まさに神社という存在は、100年、1000年後も永続的に続き、文化を後の世に引き継いでゆく存在ということですね。

A.これはどこの神社でもそうですが、やはり氏子さんや崇敬者がご浄財を投じて社殿を綺麗にし、境内を整備し、鳥居を建て、燈籠を建てということで、今現在我々が素晴らしい境内の中で空気を吸うことが出来るわけです。多くの名もない先人たちの力によって、現代までつながっているということですので、今回のクラウドファンディングもまさにその一端を担う事になります。
我々が享受している文化というのは、すべて先人たちが時間をかけて少しずつ少しずつ築き上げてきたものです。文化とはそうやって継承されていくものなのではないでしょうか。

後編に続く⇒https://club.deagostini.jp/blog/ndf_2/

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